今週のお題「試験の思い出」
もう44年も前の出来事ですが
まだ、昨日のように
はっきりと、思い出すことができます。
進路に迷っていた!
当時18歳の私は、何の道に進むか、迷いに迷っていました。
大好きな美術、芸術の道に進みたかったのです。
でも、画家やデザイナーでやっていく術を知らず
それに、そこまで自分に才能があるとは思えなかった。
そこで、教育学部の美術専攻、教師と言う道を選びました。
国立大学は、一期校、二期校があった最後の年。
(1949~1978まで実施されていた日本の国立大学の入試制度の区分)
選んだのは二期校。
試験は3月末。
高校の卒業式のあとなんですね。
もう、後がないのです。
落ちたら滑り止めで唯一受かった、
お金がかかる私立大学の文系学部。
でも、ここだと、美術とは、離れてしまう。
私の心は、激しく葛藤。
両親は全て自分で決めることだと、何も言いませんでした。
私立大学は、入学手続き期限が厳しく、すでに、40万も、両親は支払ってくれていました。
申し訳なくて、すごく悩みましたが、やはり第1志望しかありません。
国立なら、その後学費で迷惑をかけないだろうし(当時年間12万程度)
行きたかった大学だったので、3月は、毎日毎日、猛勉強しました。
種目は、4教科+実技の5教科
そして、いよいよ試験の日!
ポカポカ陽気の3月下旬、早朝から混んだ電車に乗って2時間。
試験会場の、あこがれの大学に向かいました。
下見もしていなかったので、いろいろ心配でした。
朝のそんな電車の中で、ひときわ目を引く女の子がいました。
春っぽい木綿の小花柄。
ベージュ色のさらりとした手作ブラウスと、
肩には大きな、画学生風の布ザック。
スラーッとした個性的美人で、
お人形さんのような目をぱちくり。
育ちの良さが、風貌にあらわれていて。
ひと目で、好きになりました。
友達になりたいな、あの子と。
後で知った彼女の名前は、まりこさん。
最終日の実技試験で、離れた席でしたか、同じ課を受けているのを知り、
ああ、やっぱり!
とても、嬉しかったのを覚えています。
返りの電車で、思わず声をかけたい衝動に駆られましたか、できなかった。
まりこさんは、ずっと本を読んでいました。
また、会えるかな。
きっと会える。
自分にそう言い聞かせて。
合格発表の日!
1週間後、深夜ラジオで名前を呼ばれ、合格を知りました。
当時ラジオですよ、一番早いものは。
すぐに、ラジオを聞いていた叔父から、おめでとうの電話がありました。
私も、寝床で自分の名前が読み上げられるのを聞きました。
ちょっとした感動でしたね。
翌日、大学の掲示板での発表を見に行きました。
ホントに受かってるのかな?と。
そして、また、彼女をみつけたんです。
駅から大学までは、長い坂道があるのです。
そこを、ベルベットのスーツを着たお母さんと、一緒に彼女は歩いていました。
向こうは下り。
私は登り。
すれ違うとき、ちらっとだけ?
お互い見つめ合ったような。
あらっ!
という、視線だけ。
たくさん資料などを抱えて、楽しそうだったから、
彼女も合格したんだ!
やったー
明日からの大学生活が、バラ色に、なった気分でした。
その日は、父が大きなケーキを買って帰ってきました。
合格おめでとうって
ケーキに書いてありました。
生涯の友に!
その後、まりこさんとは?
もちろん、すぐに意気投合して、素晴らしい友人になりました。
学生時代はもちろん、働いて、それぞれ結婚して、子供を持ち、そして老齢期に入った今でも。
まりこさんは、探究心旺盛て、何事にも積極的、まさに怖いもの知らずな天真爛漫さで、私はずいぶん影響を受けて来たと思います。
ふたりで、あちこち旅をしたり、
私の人生で、彼女との思い出は数え切れないくらい。
一緒に泣いて笑って生きてきました。
あの時から、もう、44年。
今はなかなか、会えないのですが、
多分死ぬまで、ずっと、友人。
試験の思い出は、受験の思い出。
それは、まりこさんとの出会いの思い出。
大学受験で得たもの。
それは、生涯の友です。
早速、彼女にメールしようと思います。
あの時さぁー坂道で会ったの
覚えてる?
覚えてないのぉー?
それでは、Saludos!!!
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