子供の頃から、ふと思いつくことが多い子供でした。
ぶらっと、思い付きでどこまで行けるかなっと、出かけてしまうような。
数時間くらいかかるようなところまで、とことことことこ、出かけて行ってしまったり、好奇心旺盛な、放浪癖がありました。
小学生の時、4歳くらいから始まった小児喘息の治療で、その免疫注射を受けに、ひとりで通院していました。
小児気管支喘息
ショウ二キカンシゼンソク、略してしょうにぜんそく。
意味も分からず、この言葉を覚えさせられて、学校の先生にもちゃんと言うんだよ。
って言われていたんです。
私のこの病気のせいで、両親は、一時どこか山奥への引っ越しも考えたそうです。
当時は、アレルギーのこういう文明病はホントにまだまれで、両親はすごく悩んだようでした。
今のように、普通に多くの人がかかっているような時代ではなかったのですね。
猫がいけないのか、庭の木がいけないのか、ほこりか???って。
庭木が多く、父が趣味でかなりの盆栽をいじっていましたし。
多分、庭の植物が原因だったと思います。スギとかだったのかも。
発作が起こると、辛くって、胸がヒューヒューなってました。
学校を休んで寝込んでいると、父がお土産を買って帰ってきます。
いつも必ず、榮太楼飴の丸い赤い缶が枕元に。
のどに効くっと思ったんでしょうね。
今もまだ売っていますね。美味しい飴でした。
まあ、その治療方法を、母が熱心に調べて病院を探したんでしょうね。
最初は週一回、そして週2回、やがて月1回と注射を受けに通うことになりました。
数年すると、だんだんと抵抗力も付いてきて、確かに発作は起きないようになりました。
小学生の高学年の頃は、一人で歩いて30分くらいの病院に行っていたんです。
たまに、仲の良い友達が一緒についてきたりもしてましたが。
注射自体は、調子どうかな?程度の問診ですぐ終わるのです。150円くらい払って。
何が面白かったかと言うと、
そこまで行く一人旅。
いくつ目の角を曲がるかとか、犬がいるから遠回りしようとか、
お菓子屋に寄り道しようとか。
ワクワクするんですよね。
この辺が、
思い付きの人生の、始点
だと思います(笑)
この免疫注射、中学に入るころまで続けたと思います。
おかげでもう、ぜんそくは起きなくなりました。
前置きはこれくらいにして、今日は何が書きたいかと言うと
今日は、パンを焼こう!
と、朝起きてすぐに思いつきまして(^'^)
コーヒー飲んで、朝練(踊り)の前に
早速開始。
パン焼き機様に、パン生地コースで、まず生地を練ってもらいました。
今日は届いたばかりにきれいな酒粕があるので、一掴みいれてみました。
これは搾りたての酒粕
甘酒にすると、フルーティーなお味です。
生地が出来たら、少し休ませてから、成形。
12個分です。中身はリクエストの多いあんこ。
あんぱんです。
いつものカンピーのつぶあんで。
焼きたてパンは、とにかく美味しい!
パン焼き機のおかげで、パンが簡単に焼けるようになりましたね。
こねるのが面倒なので、とても助かっています。
あんぱんは奪い合いになりそうなので、役得で大きいやつをゲットしました笑
それでは、Saludos!!!!
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