saludos60のブログ

ついに60代になりました。いいことも悪いことも一日一日を楽しんで暮らしています。

まさか本当に返ってくると思わなかった

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ズバリ、お金です。

 

3年くらい、断続的に貸してたんですね。

離れて住んでいる次男くんに。

次男は、5歳から12歳まで海外育ちです。

おぼつかなかった日本語もかなり苦労してた。

中学も、少し行くのが辛くもなったりもしてた。

高校はそれは楽しかったみたいです。

卒業式に、洪水のような涙を流し

18で、ミュージシャンになるため専門の学校に。

 

実は、

中2の後半、しばらく学校に行けなくなったのでした。

あと少しで、厳しい競歩大会があるという頃。

全員が一丸となって完全走破をしなくてはならない。

彼は運動部だったので、まず絶対的な使命があったようです。

動物的勘の鋭い方だったので、命の危機を察知したのかも。

 

ゆるく、楽しかった海外の学校とは、相当違っていたのでしょうね。

いわゆる帰国子女の憂鬱もあったのでしょう。

親もパニックだったけど

一番つらかったのは彼。

あの時、ポツリと彼が言ったんですね。涙声で。

 

オレが学校行きたくないっていう子だと思う?

 

 

 

いやぜんぜん。

全く全く思わない子でした。

いつも、どこでも、

学校、だーーーーーい好きだったのです。

この一言が本当に辛かった。

 

現地校もすぐ慣れて、どこに行っても人気者で。

問題なくやっていける子だったのですから。

親もなーんにも心配してなかった。

 

なんで???

なんで、日本の学校は駄目なの???

我が家に想定外なことが起きたのでした。

 

そして、

一緒に、悩み、一緒に学び。

音楽が、彼の心の要に。

中学を終え、私立の高校に。

息子を認め、個性を大切にして

息子を伸ばしてくれました。

友達に囲まれ、楽しそうでした。

 

そこで、自己を見つめ

日本でやっていこうと、立ち直り、

今の彼がいます。

 

今は、作曲や編曲を手掛け

いくつもの曲を世に送り出し。

繊細なギタリストになりました!

 

南米で出会った音楽の世界に

どっぷり、つかっています。

お世話になった人たちに、音楽で恩返しを

すると言ってた頃が懐かしいです。

 

実は、中学の頃、出会い導いてくれたスクールカウンセラーさんがいます。

息子ではなく私が会いに行ってたのです。

時には、学校で、彼女にマッサージをしてもらったり。

私は、毎週彼女に会うのが楽しみでした。

不思議な魅力があり、素晴らしい方で、癒しを受けたのは私かも。

そして、第六勘のある鋭い人でした。

 

彼女が、斜め上、天を見ながら、こう言ったのです。

 

〇〇君、ミュージシャンになるかもしれませんね。

ああ、なるんじゃないかなあ。

 

まさにお告げ通り。

その通りになりました。

当たりましたよ。

すごいです。

 

 

先週、彼が、久しぶりに帰って来て

コレ返すね。

ポンと、紙の封筒を。

30万はいってた。

 

 

楽家を目指し、生活がまだ成り立たない、アルバイトの頃

貸して欲しいといわれるまま

数万ずつ振り込んでいたんです。

ほぼ、資材や機器、必要なものにどんどん消えていきました。

中古の楽器や、PC、音響関係で狭い部屋がいっぱい。

親としては、兄弟は大学まで行かせたのに彼だけ2年の学校。
だから、あと2年は支えていこうと思っていたのです。

 

コロナ禍のころも、心配したのですが

本当に困っているのなら、なんとかするよ。

と言ったら、

ありがとう、大丈夫。何とかやるから。

 

心強い返事があり、そのころからですね。

もう必要ないんだな親は。

お役御免(*^^*)だなと。

 

 

でも、

生活にゆとりができてからでいいよ

ハワイに夫婦で行けるくらいでいいよ

そんな冗談を言ってたのです。

 

だから、まさか!

こんなに早く返ってくるとは(*^_^*)

夫と迷ったけど、やっぱり受け取ろうって。

彼の心を大事にしようと思いました。

 

彼女との結婚資金用に、ためておきます(*^_^*)

まだ少し先のことでしょうけど(^^♪

 

 

ちょっと嬉しかった小さな小さな話でした。

お読みいただきありがとうございました。

 

 

それではSaludos!!!

 

 

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