saludos60のブログ

ついに60代になりました。いいことも悪いことも一日一日を楽しんで暮らしています。

見えないと、やりたい放題になる。

*当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

最近、我が家の周りが騒々しい。

夫がぐるりと、竹垣(壁)を張り巡らしたのです。

これで、目隠しOK!!!

畑から覗かれちゃう心配もなく、一安心。

と思ったのですが、、、、

 

 

畑に来るや人たちからの騒音に悩まされています。

前に書いたラジオの音。ボリューム大!

外国人労働者の大きな声。お国柄でしょうか。

今日は、パートのおばさんたち。

まあーもーにぎやかな。

おしゃべり大好き。

騒音レベルで。

 

庭と隣接しているので、、、、

どこどこのおじいさんがいなくなった話とか

息子の嫁の話とか、旦那の話とか

聞くつもりはないのに、まる聞こえです。

 

もう夢中になってます。

これは、

 

柵があるから見えない現象

 

柵があるからこっちは安泰と思ったのだけど、

向こうが、安泰だったのですね。

誰も聞いてないと思ってる。

安心してしゃべってる。

 

以前、騒音の注意をしたことがありますが

このご時世、何か、後々あると怖いから

それ以上、言うのはやめました。

 

アメリカの友人宅の話。

隣とは、庭の境がたかーーい木の板壁。

よく、庭が映画などに出てきますよね。

壁越しに、お隣さんと話したりしてました。

仲はとても良いから、問題ないようでしたが。

子供たちの遊ぶ声や、夜遅くまでのパーテイーとか

もう一枚の木の壁越しです。

結構、うるさいだろうなーーー

 

 

柵があるから見えない現象

壁があるから問題ないだろうと思い込む。

 

 

ところが、、、、

その方が厄介。

ふつうなら、

 

少しくらいなら、大丈夫だろう。

 

と思う。

これは相手への気配りですね。

ところが、相手の存在が見えないので、

気配り心などがなくなるのです。

 

人間の心理は、本当に不思議。

心の中って、対する人や物があることで

喜怒哀楽が決まるのですね。

 

 

で、もう一つ。似たような話ですが。

 

 

最近のブログに

そう言うの見かけません?

見えないからと大丈夫と思って。

 

なんとなく、もやもやっとしたものが

ちょっと残っちゃって。

 

つい数日前に、含みのある1行の激辛コメントが

あるブログに書かれたそうな。

書かれた方は、びっくりしながら笑いながらも

やはり傷ついたのだと思います。

そして、またそれに対するご自身の意見を。

書いた人がわからないので、返事のしようもないのです。

 

書いた方は、鼻につく内容の記事と感じたのでしょうね。

私は個性的な文章っと思っていましたけど。

 

書くのも自由、コメントするのも自由ですけど。

なんだか、、、

 

幸せと不幸せ

金持ちと貧乏

他人と自分

 

この観点で、その価値観で、比べ過ぎですね。

見せびらかしや、自慢に感じてしまったようです。

自分を基準にして世の中を見れば、

いろいろ言いたくなることも多いです。

ですが、今は多様性の時代。

他を認めることで、自分も認められる。

心を広く、ワクを取っ払うことでしょう。

 

マイナスな要素を原動力にして、書く人もいれば

能力や成功、幸せを見てほしくて、書く人もいる。

哀しみや怒りの感情を書く人もいれば、

楽しい事や嬉しかった事を書く人もいる。

いろいろな人がいていろいろな文章が生まれてる。

 

その中に何か一つ

心に残るものを見つけることが出来たら。

 

読むと、いろいろな感情が沸き上がります。

かわいそうに。気の毒だな~とか

いい勉強してるね~とか

もっと優しくなれるといいのに~とか

これ、楽しそう~とか

 

よし私もいっちょ頑張ってみるわ

って思えたら最高。

 

皆さんのブログを読んで、こんな感じです。

 

ただ、書くときは感じた事を書くので、

なんでもOKでしょうけど

ブログは、読者あってのもの。

読んだ方たちが、どう受け止めてくれるのか。

少なくても、不愉快にさせてしまうのであれば

心にしまっておいた方がいいかもしれませんね。

 

 

それではSaludos!!!

 

 

ご訪問ありがとうございます。

ポチっと押していただけると嬉しいです

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心地よい暮らしへ
にほんブログ村 にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村 saludos60のブログ - にほんブログ村